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福岡地方裁判所 昭和38年(ヨ)228号 判決

申請人 野村幸二郎 外四名

被申請人 大正鉱業株式会社

主文

被申請人は、昭和三八年八月以降毎月末日限り、

申請人山野に対し合計金三九九、一二七円に満つるまで、金一一、三〇〇円(但し、最終の月賦金は金三、六二七円)宛を、

申請人田村に対し合計金三七一、六四〇円に満つるまで、金一〇、六〇〇円(但し、最終の月賦金は金六四〇円)宛を、申請人石田に対し合計金二三九、二四二円に満つるまで、金六、八〇〇円(但し、最終の月賦金は金一、二四二円)宛をそれぞれ仮に支払え。

申請人野村、同檜田の各申請をいずれも却下する。

訴訟費用は申請人野村と被申請人との間に生じた分は、申請人野村の、申請人檜田と被申請人との間に生じた分は、申請人檜田の各負担とし、その余は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

申請人ら代理人は「被申請人は、申請人野村に対し金三一〇、八一一円を、申請人山野に対し金三九九、一二七円を、申請人田村に対し金三七一、六四〇円を、申請人檜田に対し金四六六、四三九円を、申請人石田に対し金二三九、二四二円を各仮に支払え訴訟費用は被申請人の負担とする。」との判決を求め、申請の理由として、

一、被申請人は石炭の採掘、販売等を業とする会社であり、申請人野村は、昭和二一年一月四日から坑内大工として、申請人山野は昭和二二年七月三日から掘進夫として、申請人田村は、昭和二一年八月四日から掘進夫として、申請人檜田は昭和一〇年八月二一日から坑外運搬夫として、申請人石田は昭和二五年一〇月二〇日から仕繰夫としてそれぞれ被申請人会社に勤務し、いずれも昭和三七年六月二〇日被申請人会社を退職した者である。

二、申請人らは、前記退職により被申請人会社の鉱員退職手当規程第八条、第四条に基いて、被申請人会社に対しそれぞれ次の額の退職金債権を取得した。

申請人野村、金三六四、二一一円

申請人山野、金四六二、五八八円

申請人田村、金四三〇、四四〇円

申請人檜田、金五三三、三三九円

申請人石田、金二八六、六四二円

三、被申請人会社は、その後前記退職金債権のうち申請人野村に対し金五三、四〇〇円を、申請人山野に対し金六三、四六一円を、申請人田村に対し金五八、八〇〇円を、申請人檜田に対し金六六、九〇〇円を、申請人石田に対し金四七、四〇〇円をそれぞれ支払つたので、現在申請人らが有する退職金債権の残額は、申請人野村が金三一〇、八一一円、申請人山野が金三九九、一二七円、申請人田村が金三七一、六四〇円、申請人檜田が金四六六、四三九円、申請人石田が金二三九、二四二円である。

四、申請人らは前記退職後間もなくして申請人らと同様の事情にある他の退職者数百名と共に、右退職金の獲得を主たる目的とした大正鉱業退職者同盟を結成し、これを通じて被申請人に対し退職金支払いの請求を重ねて来たのであるが、被申請人は前記のとおり長期に亘つて僅小額の内払いをしたのみで、残余退職金につき任意の履行を期待できないことが明らかになつたのでその支払いを求めるため本訴の提起を準備中であるが、申請人らは、現在生活が極度に困窮し本案判決を得てのち前記退職金の支払を受けるというのでは、申請人らの生活に回復しがたい損害を生じさせることは明らかであり、これにひきかえ被申請人会社はさきに石炭鉱業合理化事業団から退職金の支払いに充てるため一億円の融資を得て、それを福岡銀行に預託している状況にある。

五、被申請人の主張事実中大正鉱業退職者同盟が昭和三七年一一月三日、主張のような趣旨の協定を締結したこと、右協定に基いて申請人らがそれぞれ金二七、〇〇〇円および昭和三八年一月、二月、三月、各月分の退職金分割金の支払を受けたことはいずれも認めるが、その余の事実は争う。即ち、前記協定はその後被申請人がこれを履行しなかつたことにより当然失効したので申請人らは前記退職手当規程に基いて算出された退職金額中既払いの分を控除した残額を一時に支払うことを請求するものである。

仮に右協定がなお効力を有しているものとすれば、申請人らは右協定に定められている退職金の分割支払を求めるものである。よつて本件申請におよんだ、とのべた。(疏明省略)

被申請人代理人は「申請人らの申請を却下する。訴訟費用は申請人らの負担とする。」との判決を求め、申請の理由第一項、第二項、第三項はいずれも認める、第四項は申請人らが主張のような退職者同盟を結成していることを認め、その余を争う、とのべ更に、

一、申請人ら主張の退職金債権については、被申請人会社と申請人ら主張の退職者同盟との間に昭和三七年一一月三日締結された協定(以下「一一月三日」協定ともいう。)により、右同盟の構成員に対しては「昭和三八年一月末より一ケ月金五〇〇万円の枠内にて概ね未払退職金額に比例し、分割支払う。」旨定められている。従つて、右退職金債権は、毎月分割して支払われるものであるから、その月賦金の支払の都度、一回毎にその分割された退職金債権は消滅する関係にあるので、本来継続的法律関係について認められる仮の地位を定める仮処分の被保全権利とはならないものである。

二、申請人ら主張の退職金債権は保全の必要性を欠くものである。即ち、

(一)、被申請人会社は申請人らに対し前記「一一月三日」協定に基いて、昭和三七年一一月六日前記退職金の内払として退職者一人当り金二七、〇〇〇円を支払い、更に昭和三八年一月分から三月分までの各月賦金を申請人らにそれぞれ支払つている。しかもその間、申請人らは失業保険金又は雇用促進手当(一日当り金四五〇円、家族一人当り金二〇円)を受領しているから、本案判決をまつことなく直ちに本件のような仮処分によつて支払を求めなければならない程の急迫した特別の事情は存在しない筈である。

(二)、申請人らの本件申請は、申請人らの病気等の理由による非常時払を求めるものと解されるところ、前記「一一月三日」協定によれば、非常時払は行わない旨を定めているから、病気等の理由のもとに本件仮処分の必要性の存在を認めることは許されないものである。

(三)、被申請人会社では、鋭意努力したが予定の出炭量を採掘できなかつたため、昭和三七年一一月以降毎月欠損を生じ、従業員に対する給与の支払も容易でない状態である。そこで、被申請人会社はやむなく昭和三八年四月五日右同盟に対し前記「一一月三日」協定により同盟員に支払わねばならない毎月の月賦金につき、右四月以降出炭増加が期待できる同年九月まで支払を猶予されたい旨を申し入れたが、被申請人会社では目下新企画を樹て出炭増加に日夜努力しており、更に新構想による退職金支払方法を計画している。かかる時に、本件について仮処分決定があれば、他の右同盟員退職者も続いて仮処分申請をなし、その多くが認可されることとなるにおいては、折角の右再建計画も頓挫して被申請人会社の企業は崩壊し、在籍職員一八八名および鉱員一、〇七二名ならびにそれらの家族の生活権を奪う結果となる。かように、本件仮処分申請が認められることによつて受けるべき被申請人会社の損害は、本件仮処分申請が認められないことによつて受けるべき申請人らの損害よりもはるかに大きいものであるからこの点からも、本件保全の必要性がない。

(四)、被申請人会社では、もし、申請人らが、社宅を明渡すなら、即時退職金の内払として申請人らに対し一人当り金七三、〇〇〇円を支払う用意があるから、社宅を明渡せば右退職金を入手できるので、この点よりしても亦必要性がない。

とのべた。(疏明省略)

理由

一、被保全権利について

(一)  申請人らが夫々その主張の日から石炭の採掘及び販売等を業とする被申請人会社に鉱員として勤務していたが、同社をいずれも昭和三七年六月二〇日退職したこと、その結果申請人らは夫々被申請人会社の鉱員退職手当規程に基き、その主張の退職金債権を取得したが、その後被申請人より申請人主張の如き右退職金の一部支払いがなされたため、申請人らの退職金残額は、申請人野村が三一〇、八一一円、同山野が三九九、一二七円、同田村が三七一、六四〇円、同檜田が四六六、四三九円、同石田が二三九、二四二円となつたことは当事者間に争いがない。

(二)  しかしながら、申請人らを含む退職者で結成している大正鉱業退職者同盟と被申請人との間に昭和三七年一一月三日退職金の支払時期、方法等につき定めた成立に争いのない疏甲第九、一〇号証(疏乙第二、三号証)の協定書記載の協定(以下「一一月三日」協定ともいう。)が成立し、それには右同盟員全員につき「右協定成立後三日以内に退職金の内払として一人当り金二七、〇〇〇円を支払う」旨および「昭和三八年一月末より一ケ月金五〇〇万円の枠内で概ね未払退職金額に比例し分割支払うものとする」旨の定がなされており、既にその趣旨に則り申請人らに対し右金二七、〇〇〇円と昭和三八年一月から同年三月までの分割金の支払いがあつたことも亦当事者間に争いのないところである。申請人らはこの点につき右協定は被申請人が昭和三八年四月以降分割金の支払いをしなかつたから当然に失効した旨主張し且つ被申請人に右主張のような不履行の事実のあつたことは当事者間に争いのないところであるけれども、いやしくも一旦有効に成立した協定である以上、単にその一方当事者に不履行の事実があつたからといつて、そのことのみによりその協定が効力を失うとすべきいわれはないから、申請人らの右主張は採用の限りでない。尤も、右協定では前示金五〇〇万円の枠内での分割支払の外、被申請人は石炭合理化事業団からの整備資金の借入れに努力し、これが実現したときにはその配分につき平和的に話し合う旨を定めた約款の存することが明らかであり、且つ証人国弘三郎の証言によれば被申請人は昭和三七年一二月右事業団から一億円の融資を得たことが認められるけれども、いずれも成立に争いのない疏甲第一二号証、疏乙第五号証、証人国弘三郎、同杉原茂雄の各証言によれば、その配分につき折合いがつかないまま現在に至つていることが認められるから、右の約款を根拠として特に申請人らの退職金債権の何分かにつき履行期が到来したものとするに由ないものである。従つて、申請人らの本件退職金残債権は前記協定に基く一ケ月につき総額金五〇〇万円の枠内での分割支払いの方法による範囲内においてのみその存在を認むべきである。そして成立に争いのない疏甲第一号証の一ないし五、疏甲第九、一〇号証(疏乙第二、三号証)、証人杉原茂雄の証言により真正に成立したと認められる疏甲第一四号証、証人杉原茂雄、同国弘三郎、同石田守、同野村清子の各証言を総合すれば、申請人らが前記一ケ月金五〇〇万円の枠内における分割支払いの定により受け得べき月賦金の額は、その当該退職金残額に満つるまで、申請人野村が金八、八〇〇円、申請人山野が金一一、三三〇円、申請人田村が金一〇、六〇〇円、申請人檜田が金一三、三〇〇円、申請人石田が金六、八〇〇円であることを認めることができる。

尤も以上認定の被保全権利のうち昭和三八年八月分以降各退職金全額完済にいたるまでの各月賦金債権は、いわゆる将来の債権に属するものであるけれども、被申請人会社が既に支払期の到来している昭和三八年四月分以降同年七月分までの分割金について支払をしなかつたことは、当事者間に争いのない事実であると共に、少くとも同年九月までその支払の猶予方を前記退職者同盟に申入れていることは被申請人の自認するところであるから、このような履行期未到来の債権についても被保全権利としての適格を有するものと認むべきである。

なお、被申請人は、仮の地位を定める仮処分は本来継続的法律関係を被保全権利とする場合にのみ許されるものであるのに、本件退職金は月賦金債権に分化され、右月賦金はその支払の都度消滅する性質のものであるから、その意味で本件は被保全権利を欠く旨主張するが、民事訴訟法第七六〇条は「殊に継続する権利関係につき」と規定しているのみであつて、継続的法律関係のみを被保全権利としなければならない文理上の根拠は存しないし、実質的に解してもそう限定して解すべき合理的理由もないので、右主張は採用することができない。

二、保全の必要性について

(一)  先ず、便宜上被申請人会社の事情について検討する。

成立に争いのない疏乙第一、第五号証、甲第一号証の一ないし五、証人国弘三郎の証言により真正に成立したと認められる疏乙第六、第七号証、証人杉原茂雄の証言により真正に成立したと認められる疏甲第五号証、証人国弘三郎、同杉原茂雄の各証言を総合すると次の事実を認めることができる。

被申請人会社は大正三年に創立され、現在資本金は一億二、五〇〇万円であるが、石炭産業の斜陽化に伴い昭和三一年、三二年を頂点にして年々欠損額を増し、昭和三七年一月の繰越欠損額は約二一億四、〇〇〇万円に達し、そのため鉱員の賃金は遅配となり、坑内資材の如き重要資材の代金支払にも事欠くようになつた。そこで、被申請人会社は、企業再建のため経営陣も一新する抜本的再建計画を推進すると共に、従業員の人員整理等をも計画し、労使交渉の結果同年六月一四日被申請人会社の鉱員等をもつて組織されていた大正鉱業労働組合との間に、右人員整理については希望退職者を募ることなどを定めた協定(乙第一号証の協定、以下「六月一四日」協定ともいう)を締結した。かくて、約一、〇七〇名の在籍者中申請人らを含む八九三名が右協定に従い退職したが、その後右協定に示された退職金の支払いと退職者の社宅明渡に関する約款の解釈などをめぐつて紛争が生じた結果、右退職者のうち申請人らを含む約六百名(以後加盟者数には若干の増減があつた)の退職者らは同月二二日その退職金獲得を主たる目的とした大正鉱業退職者同盟を結成し、同年八月二三日福岡県地方労働委員会より右同盟が労働組合の資格を有することの認可を受けて、団体交渉権を取得した上、被申請人会社と退職金支払について数次に亘る団体交渉を重ね、前記「六月一四日」協定のうち解釈につき紛争のあつた約款については、これを無効とすることを両者間で確認したが、新たな退職金の支払方法につき結局話合いがつかず、その結果右同盟は同月下旬から同年九月上旬にかけて九日間に亘る坑底坐込などの争議行為を敢行し、会社側もこれに強硬な態度をとつて譲らなかつたが、その後労使双方の申請による地労委のあつせん案が提示され、遂に同年一一月三日両者間に前記「一一月三日」協定が締結されるに至つた。このようにして、漸く被申請人会社では採炭事業を軌道に乗せることができるようになつたが、予定の出炭目標に達したのは頭初の一一月分だけで、その後は高能率切羽の終掘、採掘機械の老朽化による故障の続発、鉱員の減員に伴う労働時間延長による能率低下等により著しく採炭量が減少した上に、借入金の金利負担比率の増大等のため事業欠損は増加の一途を辿り、その欠損額は、同年一一月から昭和三八年三月までの間だけで約一億六、〇〇〇万円に達し、同年七月現在なお、右欠損状態は改善されず、金融面では楽観を許さない状態となつている。そして、前記「一一月三日」協定の成立後、被申請人会社では右協定に伴い三日以内に右同盟員全員に対し、一人当り金二七、〇〇〇円の退職金内払をした外、右同盟員以外の退職者を含む全退職者中社宅明渡をした者に対しては同協定の線に従い退職金内払として一人当り約金七万三千円の即時払をし、昭和三八年七月末現在まで(右協定では協定成立後四〇日以内と定めたが、被申請人会社は右期限後も同様の取扱をしている)にその数は三〇〇名程度に及び、また被申請人会社では右同盟に対し右協定に従つた同年一月分以降毎月金五〇〇万円宛の退職金内払を同年三月まで履行しなかつたが、同年四月八日頃に右不履行の一、二、三月分を一括して支払い、その後の四月分以降については不履行になつているが、これらの既払退職金はすべて被申請人会社が昭和三七年十二月末融資を受けた石炭鉱業合理化事業団よりの金一億円の借入金を振り当て支払つたもので、右借入金は殆んど残余がない現状にある。

しかし、他面被申請人会社では、その全従業員に対する賃金の支払は以前から概ね順調に履行されているし、昭和三八年の夏期賞与についても応分の支払ができる見込もあり、また前記社宅明渡をした者に対し支払うべき退職金の準備金も若干は用意されているし、更に前記出炭不振の隘路を打解するため、既に強力な出炭増強計画が樹立され、新切羽の開設、採掘機械の改善、労働時間の短縮による能率改善等の対策が現に着々推進されつつあつて、同年九月ないし十月頃には充分の出炭量を確保できる予定であるので、これにより経営収支の黒字化を期待することができる上に、前記石炭鉱業合理化事業団からの追加融資を受けることも決して困難ではないことを容易に窺い得る状況にある。

(二)、よつて進んで、申請人らの各事情を検討した上、前記被申請人の事情を勘案し、本件保全の必要性の有無を審案する。

1、申請人山野について

申請人山野本人尋問の結果により真正に成立したと認められる疏甲第二号証の二、成立に争いのない疏甲第三号証の二、第四号証、申請人山野本人尋問の結果を綜合すれば、次のような事実が認められる。

申請人山野(年令三七才)は、被申請人会社退職後は失業保険により生活を維持していたところ、昭和三八年三月八日北九州市小倉区岩丸産業株式会社に就職できたが、同年四月一四日頃、交通事故のため、後頭部右眼窩部、項部右左肩胛部挫傷、脳震瀘症、右側頭骨骨折の傷害を受け、その日から約二ケ月間外科医院に入院し、退院後の現在も通院加療を続けている。これがため再び職を失い、同年五月一〇日以降生活保護法の適用を受け、月額一六、〇〇〇円余を支給されているが、家族は母七七才、妻三五才、年令一一才以下の子女四名でいずれも収入はなく、剰つさえ右交通事故の治療費約一〇、〇〇〇円の負債がある。

2、申請人田村について

申請人田村本人尋問の結果により真正に成立したと認められる疏甲第二号証の三、申請人田村本人尋問の結果を綜合すれば、次のような事実が認められる。

申請人田村(年令三九才)は、被申請人会社退職後は日額金五六〇円の失業保険で生活し、右失業保険の期限の切れた昭和三八年六月二十日以降は日額金四五〇円の雇用促進手当が唯一の収入であるところ、家族は妻(三五才)と子女四名(中学生が二名、小学生が二名)でいずれも収入なく、妻が病弱である上に、二男が四年位前に小児結核にかかり、これが治療費等についての借金もあつて、最低生活費は月額二万数千円を必要とする状況にある。

3、申請人石田について

証人石田守の証言により真正に成立したと認められる疏甲第二号証の五、成立に争いのない疏甲第三号証の四、証人石田守の証言を綜合すれば、次のような事実が認められる。

申請人石田(年令五四才)は、被申請人会社退職後を失業保険金で生活していたが、昭和三八年五月二六日脳動脈硬化症を患つて半身不随となり、その頃から引続き現在まで入院加療中であつて、その結果失業保険金は支給されず、生活保護法による生活扶助と医療扶助を受けて生活している。家族としては、妻(年令五〇才)が無収入で入院中の夫の看護を見ている外、別世帯を営む養子石田守(年令三八才)がいるが、同人も四名の妻子をかかえて失職中であるため、養親らを扶養する能力がない状況にある。

以上検討した申請人山野、同田村、同石田の各事情を審究するのに、右申請人三名がそれぞれ既に支払を受けた前記二、の(一)に認定した本件退職金の内払金額(金二七、〇〇〇円と前示疏甲第一の二、三、五掲記の各金額参照)を考慮しても、なお、右各申請人らの生活状態は極めて逼迫した窮乏の状況にあることを窺うに充分であるのみならず、本件退職金債権は労働基準法第二三条第一項にいう賃金債権の一種と解され、従つてその支払は同法第一二〇条の罰則により担保される性質のものであると同時に、商法第二九五条により他の一般債権に比し優先弁済を受け得べき性質のものと解せられるところ、前記二、の(一)に認定した被申請人会社の事情によれば、被申請人会社はその欠損状態を今なお解消できない状況下にあるため、一時に多額の退職金を支払う余裕がなく、これを強制することは却つて会社企業の崩壊を招来するものというべきであるけれども、既に右欠損状態の打解策も講ぜられていて、黒字経営の見込みもあるし、現に従業員に対する夏期賞与の支給も計画されているし、社宅明渡者に支払うべき退職金の準備金も若干は用意されている等各般の事情よりすれば、残存退職金内払の余裕が全くないとは到底認め難く、結局双方の諸般の事情に鑑み、右申請人三名に対しては、いずれも各自の有する前記認定の退職金債権について、その既に支払期の到来した割賦金を含めて、これが支払始期を昭和三八年八月とし、同月以降毎月払の分割支払を命ずる限度内において、保全の必要性があるものと認めるのが相当である。この点に関し、被申請人は、もし右申請人らが社宅を明渡すなら、前記「一一月三日」協定により申請人らに対し退職金の内払として一人当り金七三、〇〇〇円を支払う用意があるから、社宅を明渡しさえすれば、右退職金の支払を受け得られるので、保全の必要性がない旨主張するが、右申請人らにおいて社宅明渡の義務はなく、その明渡をしないで、即ち金七三、〇〇〇円を受取らないで本件申請をすることが、特に権利の濫用に当ると目すべき疏明資料もないから、右主張は採用できない。更にまた、被申請人は申請人らの本件申請が申請人らの病気等の理由による非常時払を求めるものであると解されるところ、前記「一一月三日」協定によれば、病気等の理由による非常時払は行わない旨定めているから、右申請は理由がない旨主張するが、右協定にいわゆる非常時払とは、病気等非常の場合の費用に充てるため右協定で認められた退職金支払期日前に、退職金の支払をすることを意味することは、証人杉原茂雄の証言に徴して明らかであつて、申請人らの本件申請は右の意味における非常時払の請求をしているものとは解されないので、この点で右主張は既に失当であるし、前記認定の保全の必要性があるとして右申請人三名に対し退職金の分割支払を命ずることを認容すべきものとした部分は、右非常時払禁止の協定約款に何ら抵触しないことも明らかであるので、この点からも右主張は採用の限りでない。なおまた、成立に争いのない疏乙第一三号証、証人杉原茂雄の証言によれば前記退職者同盟においては、もし本件仮処分申請が認容されて被申請人会社から退職金の支払を受けたときは、右退職金を同盟に預託しその管理下に置く旨を決定していることが認められるけれども、右決定の趣旨は右退職金が右申請人らの急迫した窮乏を救済するためには全く使用されないことを定めた趣旨でないことも明らかであつて、右認定を左右する疏明は他にないので、この一事をもつて直ちに右申請人らが現に急迫した窮乏状態にあることを否定し得べき証左とするに足らないものであることを附言しよう。

4、申請人野村について

証人野村清子の証言によつて真正に成立したと認められる疏甲第二号証の一、成立に争いのない疏甲第三号証の一、証人野村清子の証言を綜合すれば、次のような事実が認められる。

申請人野村(年令五〇才)は、被申請人会社に勤務中の昭和三七年二月四日、左下腿開放骨折の負傷をしたが、昭和三八年五月一八日頃一応治癒し、現在就労可能の状態にあるが、失職中で、雇用促進手当を受給し、家族にはいずれも無収入の妻(年令四三才)、就学中の子女三名及び父(年令七八才)があるが、昭和三八年七月一〇日頃前記負傷による身体傷害者(等級四の6四級)として傷害補償金四七〇、〇〇〇円の支給を受け、うち約一〇〇、〇〇〇円を既に負債の弁済に費消したが、残金三七〇、〇〇〇円位は現在定期預金していて、さし当つて緊急生活費等に充当できないような特段の事情もない状況にある。

5、申請人檜田について

申請人檜田本人尋問の結果により真正に成立したと認められる疏甲第二号証の四、成立に争いのない疏甲第三号証の三、申請人檜田本人尋問の結果を綜合すると次のような事実が認められる。

申請人檜田は年令五五才の独身者であつて、現在被申請人会社の独身寮に居住しているが、他に身を寄せ得る親類もなく、将来の生活を心配してうつ憂症に患り、現在安静療養中であり、その収入は日額金四五〇円の雇用促進手当だけである。

以上検討した申請人野村、同檜田の各事情を審究するのに、先ず申請人野村については特に現在金三七〇、〇〇〇円の預金もあり、前記認定の生活事情に鑑みて、その生活状態が安楽とはいえないにしても、これを急迫した窮乏状態にあるとは到底認め難く、次に申請人檜田については、現在うつ憂症を患つているが、未だ重症とは認め難いし、また収入は日額金四五〇円の雇用促進手当だけであるが、扶養家族がなく、独身寮に起居していて、前記「一一月三日」協定によれば、右社宅料の外、水道、衛生、電灯等の費用も被申請人会社で未払給料債権等と相殺勘定をする定めとなつていて、日常多額の出費を必要とする特段の事情も認められず、却つて被申請人会社の前記赤字経営の窮状に鑑みると、右申請人両名に対する退職金の支払については、未だ保全の必要性を欠くものと認めるの外はない。

三、結論

よつて、申請人山野、同田村、同石田の本件各申請は前叙したところにより明らかなように主文第一項記載の退職金分割払の限度内においてこれを正当として認容すべきところ、前叙した諸般の事情に鑑み、右申請人らをして保証を立てしめずして右支払を受け得べき仮処分を命ずることとし、申請人野村、同檜田の本件各申請は前叙のとおりその保全の必要性を欠くものであるから、これを失当として却下すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小川宜夫 中園勝人 織田信夫)

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